母が旅立ったのは、木々の葉が色づき始めた秋のことでした。「私がいなくなっても、大げさなことはしないでね。親しい人だけで、こぢんまりと見送ってくれれば十分よ」。それが、母の口癖でした。私たちはその遺志を尊重し、参列者を十数名に絞った、本当に小さな家族葬を執り行うことに決めました。打ち合わせで葬儀社の担当者の方に伝えたのは、「堅苦しい儀式ではなく、母を囲んで思い出話ができるような、温かい会にしたい」ということだけでした。当日の式場は、大きなホールではなく、リビングのような設えの小さな部屋でした。中央に置かれた母の棺の周りには、たくさんの写真が飾られました。私たちが知らない若い頃の母、父との旅行写真、そして孫たちと満面の笑みで写る母。参列してくれた親戚や母の親友たちは、その写真を見ながら、次々と思い出を語り始めました。「あの時、お母さんにこんな言葉をかけてもらってね」「一緒に旅行した時、こんなお茶目なことをして笑ったのよ」。お坊さんのお経は厳かに響いていましたが、その前後の時間は、まるで生前の母を囲むお茶会のように、穏やかで、温かい空気に満ちていました。悲しいはずなのに、不思議と涙よりも笑顔が多い時間でした。一般的な葬儀であれば、弔問客への挨拶や段取りに追われ、こんなふうにゆっくりと母を偲ぶ時間は持てなかったかもしれません。小さな家族葬だからこそ、私たちは母との最後の時間を、心ゆくまで分かち合うことができたのです。形式は小さくても、母への感謝と愛情は深く、濃密でした。母が望んだ通りの、そして私たちが望んだ以上の、温かいお見送りができたと、今でも心から思っています。